あたり前の話ではあるが、私たちが生活をする上で必要な財を購入したりやサービスを受ける際に、その財およびサービスを労働として提供する人たちがいる。
私たちが労働者であれば、その中のひとりということになる。
もし、私たちが働き手に自分の仕事にやりがいや自分の人生に対する影響があるかという「有意味性」を持って働くことができれば、提供される財やサービスにも反映されるため、購入する側の満足度も上がり、より多くのお金を支払うことになり高付加価値化につながるだろう。
しかし、私たちは日常の中では限界効用の逓減とともに満足度も徐々に下がっていく。そうなると、働く側にもやりがいや人生に対する影響に繋がる有意味性が減ってしまうことになる。これは、生活が日常化されることによる必然でもある。
旅に出ることは非日常を体験することでもある
筆者がかつて宮古島に旅行をしたことがあり、現地ツアーに参加した。(ちなみに、筆者は海外でも国内でもインターネットやホテルで現地ツアーを頻繁に利用する)
ツアーのアクティビティは、SUPとシュノーケリング、カヌーの3種類各2時間程度を朝から夕方まで行うという内容である。
1人のツアーコンダクターが10数名の参加者を受け持つのだが、各アクティビティの道具の準備や説明、実技を行ない、オプションで車送迎が含まれていた。
また、随所でGoproを使用して1人あたり数十枚の写真撮影を行ない、当日のうちにデータの送付をしてくれるという内容であった。
ツアー参加者でもかなりの体力を使うのだが、ツアーコンダクターは10数名を相手にし、日常的に同じ業務を行なっているので相当な体力を必要とすると思われる。
何より感銘を受けたのは、ツアーコンダクターは宮古島とこの仕事にかなりの愛着を持っていたことだ。
サービスそのものの内容はきめ細かくはなかったが、仕事への愛着からくるサービスの質はかなり高いと感じた。そのため、筆者が支払った料金も安いと感じたし、また参加したいとも思った。
筆者はこのツアーの参加によって働くことの意味を再確認したと考えた。
旅行に出かけることは非日常体験が得られることであり、それは働くことの意味や有意味性を発見することにつながるだろう。
前段で述べた私たち自らの労働の高付加価値化にも関連してくることでもある。
ワーケーションが普及することはこういった効果も期待できると筆者は考えている。